京阪本線画像集(2015年)part3


「列」は当駅始発列車が送信した列車選別装置の設定を運行管理システムが認識した時に点灯し、「T」はTEL呼出で点灯します(ホーム端に通話機がある)

1987年の自律分散型運行管理システム(ADEC)導入時に設置されたか?と写真から推測

「列」は2025年現在も全列車出発前に見れますが「T」は昔の淀競馬臨でまれに見れた程度で、2007年(中之島線開業対応)と2022年(集中制御化)に運行管理システムが更新された前後で運行保安度が格段に上がったのでもう訓練以外で見ることは無いかも?

レール内側のループコイルが列選受信機アンテナの役割を果たしています

いずれも運転席の外で作業するため、BVEシナリオには実装していません

新名神のあたり

ここで架線がシンプルカテナリー式からコンパウンドカテナリー式に切り替わります

桁下高さを低くできる場合は梁の上部に軌道を置きます

保守しやすい(個人の感想)

関目ガードや京橋の環状線跨線橋のように桁下高さを確保したい場合は梁の下部に軌道を配置します

脱線防止ガードは京阪では半径400mまでのカーブに設置されます(だらま川付近などもっとゆるいカーブでも設置される例外はある)

かつてはレールでしたが既にほとんどがアングル材に置き換え済みです(脱線防止ガードに車輪が接触するようなことがあれば緊急整備になります)

この制限90は奥の半径600カーブとその先のS字カーブに適用されますが、のちにこれより手前の半径1000カーブまで制限区間が延長されました

このあたりから磯島カーブあたりまでかつては併用軌道だったと記録にあります

昭和44年の(天満橋-京橋間)片町駅付近併用軌道が最後の併用軌道だったらしい

それ以上の詳細はまだ判明していないが昭和20年代の特急スピードアップの頃か昭和30年代に3連から7連まで長編成化したあたりで併用軌道は一気になくなったのかも?昭和20年代の資料が乏しすぎるけど時代背景的に復元は無理な気がする

のちに曲線改良され制限速度が引き上げられた

2024年にホームドアが設置された